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ちょうど2006年も4ヶ月が過ぎる頃ですが、精神がすごく揺れ動いた日々が多かった気がします。




重い話、に分類されるので、読んでやってもいいよ。という方は
読んで下さい。




皆もそうであるように、もう1ヶ月経ったんだね…
   EXILEからSHUNの脱退。

それに、心はとても動揺してました。
でも時間というのは やはり物事を収めてくれたのか、段々と友人達の力を借りながら落ち着くことが出来て。





 ココを見てくれてる人の中にもいるのかもしれないけれど、私は育ってきた環境のせいでしょうが、幼い頃から多くの人の死に面して来ました。身内もですが、赤ちゃんの頃から可愛がってくれてた方達がこの21年で沢山。 多分、同じ年頃の子と比べたら葬儀に出たりしたのは多いと思います。
 だから、母方の祖父は幼稚園の年長の時に亡くなったのですが、祖母や母が声をあげて泣いているのを、静かに涙を流す父の傍らに立って遠巻きに見つつも、お別れをちゃんとしました。天国に行ったことも分かったし。その後も身内も知り合いも何人か亡くなったりしましたが、ちゃんと葬儀に出てお別れをしてこれました。

 でも何年も会わないでいた叔母が亡くなった時、遠いし学校があるから葬儀に連れて行ってもらえなかったりして、未だに亡くなったということを忘れてるというか、どっちか分からなくなってしまう時があります。札幌のかわいがってくれてた先生だって、先生が大好きだったフクロウの物を何か見つけると、未だに「コレ送ったら喜んでくれるかな?」て思っちゃって。それから、もういない、ってことを思い出して悲しくなって。
 それまでは葬儀をもって自分の中で『お別れ』してきたので、葬儀、に行かないでお別れができなくなってしまったのかな。
 でも、それって時が経つと共に、理解できていってお別れできていたように思います。今はね。
 そりゃ居てくれたら嬉しいけれど、今は天国で神さまのところに居るんだから。いいの。





でもね、年が明けて1月半ば。
中高の恩師と呼べる部活の顧問だった先生が、危篤で、子供がいなかったため、部活の生徒を娘のように思っていてくれて、会いたがってるというので母と姉と3人でお見舞いに行ってきました。お見舞いに行って、よく知った先生とは姿が変わってしまっていてショックはショックでしたが、受け止めて。でもそれから先生は亡くなって。
告別式に出て、先生が大好きだった神さまのところに行けたから良かったですね。って本当に思えて、お別れ出来ました。頭はね。
いつもですが、頭でお別れして、それから段々と心がお別れ出来ていくのかな。そんな感じでした。








でもそんな中。2月頭。
友達が嘘ついてると思った。てか普通によく聞こえなかったの。

2年が終わる時に辞めた、13人しかいなかった同じ服飾の友達が、
去年の10月に亡くなった。って。






信じられなさすぎて、信じたくなくて、
 でも学校辞めたのは、生真面目が故に、拒食症と過食症繰り返してちょっと鬱病になってて。でも心理系に行きなおすって言ってたのに。
3ヶ月知らないで過ごしてたことも、それまで彼女にしてあげられたことが何かあったことも、全部が悔しかった。悲しかった。私以上に、彼女に近かった友達は、自分がしなかったことを後悔してとっても苦しんでるのを見てて、私も苦しかったし。何より私達は11月にファッションショーやってて。知らないでやってて。
 だからはっきり聞いたわけじゃないけど、彼女は年間3万人以上にのぼる自ら命を絶つ人達のうちの1人だった、ということです。本当に優しい子だったから2年間そんな苦しんでる姿見せなかったし、彼女の笑顔で励まされてました。本当に嘘であって欲しかった。今も嘘であって欲しい。頑張り屋の彼女らしく、どっかの心理学科の大学とかで勉強がんばってる、とか聞きたいです。
 個人的に、2年の学祭の時に、もう1人の子と彼女と3人で、廃棄の椅子を使ってリメイクするという企画に出品しました。うまくいかなかったりしたし、〆切ギリだったけど、頑張って、しかも楽しかった。それこそ彼女が好きそうな明るいポップな元気の出る可愛い仕上がりで。
 しかもね、彼女ね、それこそ椅子作る時とかに明かしてくれたんだけどね、EXILE好きだったのよ。てか佐藤篤志をアサヤン見て知ってて。でも私ほど好きじゃないかな~と思って、好きって教えてくれてなかったんだって。でも、今度一緒にライブ行こうよ!って言ったらいいよって言ってくれた。秋だったからツアーはもう行く友達決めちゃってたから、来年ね!て言ってたのに、辞めちゃってからは連絡取んなくて…
一緒に行きたかった。04年の年末に一緒に行けば良かった、って思ったし、9月の代々木行ってたら…て思ったし。11月の埼玉でも12月の横浜でも約束してたら生きててくれてたかな?そう思ってしまった。


ずっと今打ってて、ある曲聴きながら、泣きながら打ってます。
でも苦しくて泣いてるのは、その彼女のことを打ってる時。
恩師の先生は、まだちょっと淋しいけど、ちゃんと、いいところにいるって分かってるから大丈夫。
納得、というか事実は事実として受け入れなければならないと思いつつもやっぱり受け入れたくなくて、隣りに置いといたのかもしれない。


その後、春休みで就活とか普通の生活をして、3月末に、俊ちゃんのこと。衝撃は大きかったけど、今はもう平気。全然。
これが納得してる。ということなんだと思う。



また落ち着いて。
で、木曜に不意のメール。(1日前の日記)
学年で1位2位を争う、元気の良さで目立ってたのに、私にとってはいきなりでした。若いから早かったんだと思う。棺の前の写真は1年前の成人式の時の写真でした。彼女らしい笑顔で写ってて。


人間が見て『21歳5ヶ月』て早いと思う。志半ばだったり、学生だったからこれからのはずだったり。
でも、彼女にとっては神さまの元に行く時間で、神さまは彼女にとって良しとされた時間だった。彼女の人生は、人間が計り知れない尺で良い長さとされたんだ。彼女も苦しんだけど、今は神さまの元にいるから大丈夫なんだよね。
次に、天国で会うまでのしばらくのお別れ、なだけなんだから。









でも、それから、夜、AIちゃんの『Believe』聴きながら涙流してて、今聴いてる『きみは愛されるため生まれた』も昨日から聴いて涙流れてる。
感情が支配されてるとかではないから、心は静かなんだけど、
毎晩 涙が出てきます。


涙流さないで夜いられたら、その時が本当に心落ち着いた時なのかな。








4月30日。去年は日付がちょうど変わってColorで出てたイベントで一緒にお祝い出来て嬉しかった。



それから1年経って、篤志は26歳。
彼のことを好きでいたうちの1人の子はもう年を取らないけれど、そんな彼女も篤志の歌を聴いて励まされていたこと覚えててほしいし、私も覚えていたいです。
久しぶりに、Togetherを聴く勇気が出そうです。

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2006.04.29 Sat l 日記 l COM(0) TB(0) l top ▲

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